坂本 儀恵
クレニオセラピスト
「どんな辛い顔で来ても、帰るときは笑顔で帰ってもらいたい」
クレニオセイクラルセラピーと四柱推命を合わせた施術を行っています。
クレニオセイクラルセラピーとは、日本語だと「頭蓋仙骨療法」といいます。
頭蓋仙骨療法とは、頭蓋骨と背骨の下にある仙骨を中心に、動きを止めている部分を優しく調整することで、脳脊髄液の流れを促す治療法です。
これによって、脳を活性化させ、さらに中枢神経全般に働きかけ解放することで、神経系統が沈静化され、免疫力やホルモンバランスが整っていきます。
さらに、四柱推命を取り入れることで、身体だけでなく、心もしっかりと整えていく独自の施術を行っています。
「ギフト」
小さいころの私は、とてもおとなしい子どもでした。
すごい人見知りで、知らない人がいるだけで緊張するようタイプ。
いつも母の後ろに隠れていたことを覚えています。
そんな私を、ある出会いが変えていきます。
通っている小学校に、劇団四季が来たのです。
衝撃でした…
体育館を、ところせましと走り回るその演劇に、魅せられてしまいます。
歌やダンスなどの演出から作られるその世界観は圧巻でした。
それまで、人前にでることなんて考えたこともなかった私が、「将来、劇団に入りたい!」という夢をもつことになるほどでした。
夢は行動に繋がり、私は5年生からの部活動で演劇部に入部をすることを決めます。
演劇とは、表現すること…人と話すような小さな声では、伝わりません。
毎日の発声練習は、いままでの私を捨てなくてはできないことでした。
この演劇部によって、私は新しい自分に出会うことができました。
ですが、進学した中学の演劇部はあまり活動していない部でした。
ならばと思い、考え方を変えてバスケット部に入部します。
背の低かった私は、バスケットをやれば背が伸びるかもしれないという淡い期待をもっていました…が、期待は期待のままで終わりました。
高校では、テニス部に入ります。
中学生の時とは違い、他県での試合も多く、よく遠征に行きました。
知らない土地での出会いや楽しさを経験することができ、大切な思い出がたくさんあります。
小学校時代の演劇部で培われた自分を表現するという力は、多くの友人と、にぎやかで楽しい学生生活をするというギフトを私にくれました。
叔母が連れて行ってくれることになりました。
叔母との旅行は普通のホテルに滞在するような旅行ではなく、叔母が習っていた英語の先生のところに泊めてもらったり、日本人のあまりいない所に行ったりと、貴重な体験ばかりでした。
映画にでてくるような、砂漠に建つ平屋のホテルに泊まった思い出もあります。
ディズニーランド以上の新鮮な体験をいくつもすることができた卒業祝いでした。
そして、びっくりするのは、アメリカという大きな国とそのおおらかさ。
スーパーに並ぶ商品はすべてがビックサイズ!身体のサイズが違うということは、こういうことになるんですね。
そんな国に住んでいるアメリカ人は、人懐っこさもグレイトです。
レストランで食事をしていると、前の席に勝手に座ってきて話しかけてきます。
あの数か月のアメリカという体験は、私の考え方を変えてしまいました。
日本では、どこでも何となく右にならえという意識が働いてると感じます…ですが向こうでは、私は私、あなたはあなたでいいんじゃない!という考え方。
何事も焦ることはないという文化。
自分が接しているものの捉え方が変わる経験でした。
「二人の“母”の決意」
高校を卒業して、英語系の大学に進みます。
授業が全部英語…掲示板も放送も全部英語の大学!
日本語で話していると、それが外国語に聞こえるくらい、英語漬けの日々を過ごしました。
この大学で習ったのは、英語を日本語に訳してはいけないということ。
英語で聞いたものは、英語で考えて英語で答えなさいということでした。
英語でものを考える4年間はあっという間に過ぎていきます。
就職は、旅行系か空港での仕事を考えていました。
ちょっと調べてみると、この職種はとても朝が早い仕事らしい…。
私は朝がとても苦手です…。
それならば…ということで、朝の遅いということを重要条件として仕事を探します。
すると、IT系の仕事が、そうらしい…。さらに英語力が必要だったのも決め手になりました。
無事に入社し、研修で東京にでます。
仕事場は地元のはずだったのですが、研修を終わるころ、社内ヘッドハンティングされ、東京に残ることに。
東京では8年ほど働いて結婚、妊娠を機に退社します。
気軽な専業主婦になれるなと思っていたら、3か月で飽きてしまいました。
なにかできないかなと考え始めます。
そんな中、母が孫の顔を見に、よく来てくれていました。
母は、腰や足に痛みがありました。
何度か手術を勧めたのですが、失敗して、歩けなくなったりすることが心配だったのでしょう、手術は避けていました。
その母が、孫と歩きたいという気持ちから、手術を受けます。
母のリハビリに付き添っていると、同じような人たちがたくさんいることを知ります。
こういう人たちのために仕事ができないかなと思い調べてみると、理学療法士という仕事でした。
ただ、この資格は国家資格。取るためには、大学に通わなくてはなりません。
小さい子どもがいる私にはちょっと厳しい関門です。
すると、カイロプラクティックという資格が目に留まります。
資格取得のカリキュラムは、母親の私でも、なんとか通えそうでした。
二年間、しっかりと学び、この資格を取得することができました。
「私に合った施術との出会い」
仕事として、カイロプラクティックの施術をしているとき、この仕事は、ずっと勉強だなと思うようになっていきます。いつも自分に足りないものがあると考え、専門的なセミナーなどに参加していました。
すると、ある先生に出会います。
その方は、日本にカイロプラクティックを広めた有名な先生でした。
ある時、その先生に、「頭蓋骨の施術に興味はありますか?」と訊かれます。
少し説明を聞くと、とても興味のある内容でした。
0期のセミナーを開講するとのことだったので、すぐに参加を決めました。
力のいる施術になります。
身体の小さい私には、ちょっと厳しいところがありました。
ですが、この頭蓋骨の施術、クレニオセイクラルセラピーは力でやる施術ではありません。
とても私に合っている施術方法でした。
クレニオに出会って10年と少し。今では、講座をもって、この技術を人に伝えています。
「二つの施術の融合」
自分の身体の異変に気が付きます。2017年でした。
詳しい検査の結果、乳がんを宣告されます。
少し気が付くのが遅い発見でした。
自分の人生を考える日々のなか、四柱推命の先生に出会います。
その先生から、「夫の取り扱い説明書」というものをもらいました。
それは、「あなたの夫はこういう人だよ…」ということが書いてある説明書。
だんなとの接し方が書いてあったので、だまされたと思ってやってみました。
すると、亭主関白だった主人が、子猫ちゃんみたいに変化していきました。
そのスゴさに興味を持ち、四柱推命を学びます。
ここでは四柱推命の詳しい話は省きますが、今、その人に必要なものがわかってきます。
身体と心の関係を自分の統計を取って調べてみると、人には、施術だけではない、その人にあった整え方があることがわかりました。
いま、この二つを融合した施術をしています。
20年以上、鬱症状に悩まされている方。
30種類もの薬を常用していました。
私が施術をしても、能面のような表情で帰っていきます。
鬱系の薬は、私とその方の脳の通信をできなくしてしまいます。
その方に、「次は薬を飲まないで来てください」と言いました。
次に来るとき、飲まないで来てくれました。
すると、帰るとき、能面ではなくて口角が少し上がっていました。
表情筋をつかうことができるようになったんです。
とても嬉しい出来事でした。
私の施術によって、心と身体が繋がったことを感じる嬉しいことでした。
せっかく生まれてきたのだから、楽しく生きてほしい。
どんな辛い顔で来ても、帰るときは笑顔で帰ってもらいたい。
笑顔にすることが、私の仕事。
明日頑張れる力を手に入れてもらっています。
「笑顔のサイクル」
患者さんに会うときは、必ず笑顔でお会いします。
お話のなかで、必ずクスっと笑ってもらうところを作ります。
患者さんの笑顔を、私も見ることができます。
患者さんは、そんな笑顔の時間を忘れないでいてくれる。
何かあったときには、私を思い出してくれる。
そうすれば、私は新たなサポートすることができる。
そこで、また笑ってもらうことができる。
笑いや笑顔のサイクルが始まる。
すると、私がいないところでもそのサイクルが回っていく。
笑顔の中に戦争はない。
笑顔の中には、辛い心の病気もない。
循環。
笑顔を回していくことのすばらしさを、わたしはこれからも伝えていきたい。
事業所概要
事業所名 | アディオ カイロプラクティック |
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代表者 | 坂本 儀恵 |
所在地 | 〒125-0041 東京都葛飾区東金町3-27-1 |
電話番号 | 090-6562-7070 |
FAX番号 | |
メールアドレス | info@zugai-chosei.com |
ホームページ | https://www.adio-chiro.com/ https://www.zugai-chosei.com/ |
事業内容 |
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