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木村聡子

木村 聡子
相続専門税理士

「ご家族を亡くされた方に、一日でも早く日常をとりもどしてもらいたい」

相続専門で税理士をしています、木村聡子(あきらこ)です。
九段下で、日々、相続税の申告や、相続に関するご相談の対応を行っています。
相続はいろんな問題が出てきます。
両親が亡くなって、親の不動産をどう活用したらよいのか…
財産は土地ばかりで、相続税が払えない…
相続した土地を兄弟とどうやって分けたらよいのか…
私は不動産税務に強い税理士。
現在、相続の土地活用に対して総合的に対応していくために、不動産コンサルタントの方とペアを組んで、それらの相続問題を解決することを仕事としています。
「野球一筋」

子供の頃は、大の勉強嫌い。
だれも私が税理士になるとは思ってなかったと言います。
好きなこと、まずは漫画。
今でも、イラストや似顔絵なんかは上手い方です。
漫画家になって、一日中こもって漫画を描いていることが夢でした。
実は、締め切りに追われるところなんかは、今の仕事も同じだったりします(笑)
そして、もう一つ大好きなのは野球!
当時は、野球好きの女の子はほとんどいない時代でした。
なぜか、あの男臭い世界が大好きだったんです。
小学生の頃は、球場に行くだけでちやほやされるし、選手の名前を覚えるととても褒められました。
ただ両親は、それほど野球好きでもなく、どこかの球団のファンでもない。
どうしてこんなに野球が好きなのか不思議なんです…。
勉強嫌いの私が、防御率を計算したいがために算数の勉強。
メジャーリーグを知りたいから英語の勉強。
「週刊ベースボール」から情報を得るために漢字の勉強。
そしてその勢いで、当時野球が一番強い大学、法政大学に入学。
そして念願のスポーツ新聞の記者に…なりたかったけどなれませんでした。
これが私の人生最初の挫折です。
当時、男女雇用機会均等法が施行されたばかり…女性がスポーツ新聞の記者になることは難しい時代でした。
ただ、時はバブル。
野球のために頑張った勉強が、私を一部上場の企業に入れてくれました。
チームで働く仕事に、少し野球を重ねて楽しく働いていました。
ところが、バブルがはじけたらお荷物扱いされ始めます。
見返してやろうと頑張っていたら、身体を壊してしまいます。
退院して戻ったときの上司の言葉…「この忙しいときに休みやがって」。
吹っ切れました。今ではこの上司の言葉に感謝しているくらいです。この言葉が無ければ、会社にしがみついていたかもしれませんから。
20代半ばで退職…もう、会社に振り回されるのはこりごりです。
巨人の6番が職人と言われ活躍していた時代…
手に職を付けたいという思いは、私にも湧き上がってきました。

「税理士先生の裏切り」

会社にいたころ、簿記の資格をもった高卒の子が、イチバン仕事ができたことが印象に残っていました。
そこで目に留まったのが「税理士」。
両親に税理士の資格を取りたいと話したら、大反対を受けます。
まぁ、子供の頃の私を知っている親の反応としては理解できました。
父の会社に入っていた顧問税理士は慶応卒で、税理士の資格を取るのに5年かかったそうなのです。
その税理士の方を呼んで、家族との食事会が開かれました。
もちろん、私にあきらめさせるためです。
そこで、急展開!その税理士の方が、両親を裏切って、「やらせてみたらいい」と言ってくれたんです。
そのおかげで、許しをもらうことができました。

この資格…3年で取ってやると決めます。
漫画を描いていた机が、勉強机に変わりました。
会計事務所で仕事をしながらの勉強でした。
日々の勉強が、毎日の実務にどんどん結び付いていく快感!
ホントに楽しい、充実した時間、野球は一切見ませんでした。
しかし、仕事をしながらの勉強は、時間との闘いでした。
勉強できるのは、日に4時間くらい。
時間の使い方も、ここで身に着けます。
結局、4年かかったのですが、いつのまにか勉強好きになっていました。
毎日の仕事が勉強というこの資格を取得し現在、25年。相続を専門とするようになって5年になります。
「私にしかできない仕事」

「相続税」というのは、資産家にかかる税金でした。
それが、平成27年の法律の改正で、庶民にもかかる税金になります。
都内近郊に自宅があって、少し貯金がある…そんなどこにでもある家族にも相続税がかかるようになった法律の改正でした。
それなら、そういう方のために「相続専門の税理士」になろうと思い至ります。
ヒントは、1000円カット。
1000円カットの美容師を目指して美容師になる人はいない。
でも、1000円カットのニーズは、あるわけです。
そういうサービスの税理士サービスがあっても良いのではないか。
そう思い、5年前に、相続専門を掲げた税理士になりました。
財産は自宅と預貯金や株などの金融資産だけ…そんな小さな相続をサポートする税理士です。

2000年に税理士として独立開業したときは、とにかく大きい税理士事務所にしなくてはと考えていました。
東京と静岡に事務所を構え、何人もの税理士を雇う税理士法人を興しました。
しかし…私は、マネジメントが超下手…
いきなり4人から退職願いが出て、突発性難聴や顔面麻痺になったことも。
そんなときに、311の東北の震災を経験します。
一度しかない人生、苦手なことをやりながら仕事をするよりも、もう一度しっかりと「税理士」の仕事をしてみようと思いました。
そして、税理士法人を抜けて、一人で事務所を始めます。
税理士の仕事がこんなにも楽しかったんだということを思い出します。
顧問先も順調に増えて忙しくなっていきます。
仕事はどんどんIT化され、一人で多くの仕事ができるようになっていきます。
税理士の仕事はAIにとって代わられる仕事の筆頭ともいわれています。
しかし、AIが得意な仕事は「一番税金が安くなる方法」を瞬時に提案すること。
しかし、相続税の仕事だけは、そうはいきません。
なぜなら相続税は、税金が一番安くなってもご家族が幸せ…ということにはつながらないからです。
誰がどの財産をどう相続すれば、幸せなのかということが問題になってくる。
さらにそこに、亡くなった方のお気持ちが入ってきます。
これはAIにはできない仕事です。
複数人の気持ちを丁寧に推しはかることが必要な仕事。
寄り添い型の私だからこそ、できるのが相続の仕事です。
顧問先を持ってしまうと仕事はどんどん増えてしまいますが、相続の仕事は、しっかりした仕事を自分のぺースでやっていけます。
私の強みで、お客さんに役立てる仕事の領域を見つけることができました。
「日常への復帰」

人の死を起点とする仕事なので、クライアントはうちひしがれている人が多い。
そんな人に、税を納めるというお話をする瞬間はやっぱりつらい。
けれど、私との出会いは、その人達の新たな道へとつながっている。
それを理解してもらった時、その出会いは私の仕事へと変わっていきます。

奥様を亡くされたばかりの旦那さん。子供はいらっしゃらない。
ご相談が終わったのはお昼前でした。
帰ろうとすると、悲しそうな表情を私に向ける。
聞けば、奥様を亡くされてから、食事はいつも一人きり。私と昼食を食べたいと思ったのだそうです。とても切なくなりました。
このように、大切なお身内を亡くされたばかりのクライアントと話しを重ねることが、あふれるものを穏やかにすることを私は知っています。
人の気持ちを汲む想像力が、私の中にわきあがっていきます。
心掛けているのは、ご家族を亡くされた方に、「一日でもはやく、日常をとりもどしてもらいたい」ということ。
早く相続税の申告を仕上げることは、「日常」への復帰の近道です。
依頼者をほったらかしにしないのが私の一番大事にしていること。

宇宙から見れば、自分はちっぽけな存在。
自分はほんの小さなものしか残せないと思って生きています。
私は自分の得意なことを見つけることができました。
ただ、「税理士」を私の最後の仕事とは決めたくはありません。
自分の限界を作りたくはないから。
私だけでなく、誰もがそんな考えを持ってほしいと思っています。
「思い込みを捨てると、思い付きが降ってくる。」
今の私のすべての縁は、この言葉を起点に始まりました。
楽しみながら、最後まで、自分をいかせる道。
この道を探求し続けていくことが、これから私がすべきこと…。
その結果が、生涯「相続専門税理士」であっても、またそれは素晴らしいことだと思います。

事業所概要
事業所名 コルディアーレ税理士事務所
代表者 木村 聡子
所在地 〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-5九段会館テラス1F
電話番号 03-6431-0275
FAX番号 03-6431-0276
メールアドレス kimura@cordiale-group.com
ホームページ

https://www.cordiale-group.com/
https://kimutax.com/(小さな相続)
小さな相続専門ブログ:  https://akirako.jp/

事業内容
  • 「小さな相続」の申告
  • 相続税申告
  • 相続税還付
  • 相続税相談 etc.