鈴木 峰子
リンパケアサロン
「娘の笑顔に史上最高の感謝を…」
さとう式リンパケアインストラクター、セルフケアマスターとして施術や講座を開いております。
中でも、佐藤青児先生が考案された耳に輪ゴムをつけると体が緩むことから生まれたLara upのイヤーアクセサリーの対面販売や販売権を取得できる養成講座を得意としております。
このイヤーアクセサリーは、耳たぶを1㎜上げることで、美姿勢になり、身体が整います。
このLara upのイヤーアクセサリーは耳にかけるだけで、いつでもその効果を得ることができ、無理なく続けることができます。
体の凝りは、心からくることが多いですね。凝りは毒素を溜めることになります。
根本的に溜めない体にするには、まず心から緩ませないといけないと伝えています。
「娘の想い」
私には、一つ違いの年子の姉がいます。
彼女はとても人望があり、私にも優しく接してくれました。
いつも褒められている姉は、私の憧れでもありました。
両親は、そんな私たちにたくさんの習い事をさせてくれました。
書道や珠算に加えて、母が習っていた三味線に合わせて踊る日本舞踊、花嫁修行の生け花、茶道、着付け…。
私も姉のように褒めてもらいたいということがモチベーションとなり、姉以上に通い続け、珠算は五段、書道は師範の資格を持っています。
褒められたいという気持ちから、やりだしたら止まらない性格が身に付きました。
そんな小さい時の思い込みのおかげで、今、周りの方のお役に立つことができています。
近くに浜名湖のあるそこは、ちょうど良い田舎具合です。この環境のなかで、二人の子育てをすることができました。
主人が大学や社会人の時までやっていたバスケットボールに刺激され、子どもたち2人もバスケットをやる様になり、主人も月に何度か帰省してはバスケット少年団の指導に参加し、親子共通の話題で盛り上がったりしたものです。
いろいろありましたが、そんな暮らしもあっという間に過ぎていきます。
子供達には、東京の大学に進学することを勧めました。
大学生になった2人は久しぶりに父親と暮らすことに。そして、そのまま就職。
私は、主人と子供達と離れ、浜松で逆単身暮らし。義父も亡くなり、義母と二人暮らしをしていました。
そんな時です、娘にガンが見つかります…それも進行性のスキルス胃ガンステージⅣ。手術はできない状態まで進んでいると診断されました。晴天の霹靂でした。
そのとき、娘が笑顔で言うのです、
「お母さんと一緒に家族みんなで暮らしたい…。」
気が付けば、家族がそろって一緒に暮らしたのはもう遠い記憶。
周りの助けもあり、娘が亡くなるまでの5ヶ月間、ゆっくりと家族で過ごすことができました。
それは、娘が最期にしてくれた親孝行だったのかもしれません。
「そしてプレゼント」
娘を亡くした後、私は母としての責任を感じていました。
なにか理由を探していたのかもしれません。
家族はもちろん、自分と関わる人に何かできないか…。
そんな時、手のひらを診ることで身体の不調を改善する手のひらセラピーという健康法があることを知ります。
学んでいると、不調を改善する前に、不調が起きない体にする事の方が重要ではないかと思い始めます。
いろいろと調べていると、不調が起きる要素である毒素を溜めない体にする「さとう式リンパケア」とう施術に出会います。
これだ!と確信し、インストラクターの資格取得を目指します。
卒業試験の当日、たまたま佐藤先生とランチのテーブルが一緒になりました。
「私、試験頑張ります!」と言うと、頑張る人は破門だね」と言われます。
「頑張るという字はどう書くの?ガンを張るって書くでしょ?頑張りすぎることで、体が縮こまってしまうと、毒素が溜まる…。だから、さとう式は頑張らない。」
さとう式リンパケアの基本は「揉まない、押さない、引っ張らない」。
なので、なにかをやった感がない…触れて揺らしただけで治っているという施術。
この説明を受けたとき、私は、ハッとします…娘の笑顔が見えたようでした。
最期に逝く瞬間まで笑っていた娘。
親が言うのもなんですが、本当にあっぱれな娘でした。
娘と息子はとても仲が良かったので、ガンの話は兄妹で話していたと後から聞きました。
「笑顔は病気を治すから、いつも笑顔でいようね」と話していたそうです。
お医者さんがびっくりするくらい、笑顔で穏やかな最期でした。
亡くなった娘からの手紙があります。
頑張ってきた私に、「もう頑張らなくていいからね」と最後に書いてありました。
奇しくも、佐藤先生の教えと同じ…
ここに導いてくれたのは娘なのかなぁと思っています。
娘は保育園の先生でした。働いていた保育園の園長先生が、園にヒマワリを植えてくれました。
娘の笑顔はヒマワリの様だと、園児からも言われていたと話をしてくれました。
そのヒマワリと娘の名前「さやか」から、このサロンを「ひまわりsaya」と名付けました。
「想いは仕事へ」
いざ、仕事として始めるのですが、主婦の片手間という意識があったことが露見します。
資格取得の指導と、その認定までしていたのですが、習いに来ていた歯科医師の方に、「こんないいものがあるのだから、しっかりと指導して、もっと広めて行って下さい!」と叱られる始末…。
その先生にも、食いしばりで悩んでいる患者さんがいて、その患者さん達が待っている…そういうことを理解して、この仕事をしなければいけないんだと身に染みて感じました。
さらに、イヤーアクセサリーに関しては、最初はリピート客が来ない製品だと思っていたので、顧客データをメモ程度にしか残していませんでした。リピートのお客様が来た時に、前の記録がないんです。なので、以前と同じケアができないのです(汗)。
このイヤーアクセサリーはつけておしまいという意識の甘さに、猛省。
今はしっかりと、「カルテ」として記録しています。身体を治している仕事なんですから、当然ですよね。
このアクセサリー下にはいろいろなチャームを着けることができます。
私はこのチャームをひとつひとつ作っています。
実は、こういうものを作ることが、大好きなんです。
昔から細かい作業が得意で、洋裁士の免許を持っていた母から受け継いだ特質のひとつです。
家庭科の授業では、課題のパジャマはイチバンに完成。中学の頃から、自分や友達のスカートなどの洋服を作っていました。
人と同じものが好きではないというのは、娘も同じでした。
娘の大学時代に、一緒にアクセサリー作りをしていたのも、今の仕事に役にたっています。
見えない力が働いているのかもしれません。ここにも娘からのプレゼントが…。
このオリジナルチャームが、私の施術の魅力のひとつになっています。
今では、イヤーフックを他で購入した方がウチに持ってこられることもあるほどです。
イヤーフックは、着けていると耳周りがスッキリしてゆるくなってくることがあります。
ウチはアフターケアも丁寧にするので、もちろんその調整もします。
この商品、ひとつ作れば調整しながらずっと使えるリピートのない商品です。
ですが、そんなお客さん達が、私のところに新たなお客さんを連れてきてくれます。
私のおせっかいなところを気に入ってくれているお客さんがまた増えていきます。
「笑顔から教わったもの」
Lara upの魔法のイヤーアクセサリー。
これを着けると、その場で鏡を見たお客様がムフフと笑顔になります。
そして、えっ?なぜ?と質問が飛び交います。
それがわかると、さらに笑顔になります。
その笑顔は、また次の誰かを笑顔にしていきます。
「笑顔」は副作用のない薬。
だれもが、だれにでも与えることができる最高の薬のひとつなんです。
だますより、だまされるほうがいい…人を信じきる。
人の良いところを見て、見捨てない…おせっかいの根源がここに。
でも、私の性分なんです。
その信用は、私に人をつなげてくれます。
人が私に集まってきます。
みんなの笑顔を連れてきます。
うそのない笑顔がいつもたくさん…。
日々、病める人のために仕事をしています。
「ひまわりsaya」は病まない身体作りをサポートが仕事。
家族で最強のタッグを組み、たくさんの笑顔のために、心と体をサポートしていきたいと思っています。
病める人達のための会社と、人が病まないためのサロン。
この二つの会社があれば、史上最強!
そこから生まれる笑顔も史上最強!
そして、その笑顔を教えてくれたさやかに、史上最高の感謝を。
事業所概要
事業所名 | ひまわりsaya |
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代表者 | 鈴木 峰子 |
所在地 | 〒153-0063 東京都目黒区目黒1丁目 |
電話番号 | 090-1628-3087 |
FAX番号 | |
メールアドレス | himawarinoheya1231@gmail.com |
ホームページ | https://himawari-saya.com/# |
事業内容 |
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