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会員紹介

力久由利子

力久 由利子
フリーアナウンサー

「伝えたい人に、伝えたい言葉を、伝わるカタチで届けていきたい…」

はじめまして、フリーアナウンサーの力久由利子です。
ブライダル、演奏会、各種パーティーやイベント等の司会・MCをしています。
最も多いのは結婚披露宴の司会です。
いつも感動をたくさんいただいて、私が胸いっぱいになっています。
先日の「あかちゃんはいはいレース」のMC&実況も、面白いお仕事でした。
「赤コースの赤ちゃん、早い早い!青コースの赤ちゃん追い上げています!おっと、逆走がはじまったぁ…」って!(笑)
一つ一つの言葉に心を込めて、声でお伝えしています。
「部活に夢中だった高校時代」

高校生の時、テレビで放送コンテストの様子を見て、放送部に入りました。
実は私、人前で話すことが大の苦手…。
みんなの前で意見を発表しましょうっていう授業が大嫌いでした。
「このままではいけない」と思っていたことも、入部の理由でした。
放送部では、大笑いと大泣きの繰り返し。
アナウンサーの先生から愛のある厳しさでガッツリ基礎を仕込まれていくうちに、伝える事の奥深さや楽しさを感じはじめます。
そして、憧れていた放送コンテストでは、神奈川県でアナウンス部門3位に入賞!
その実績から、翌年に開催された全国大会にて司会をすることになりました。
ただ、1位2位の人は大きなホールでの司会、3位の私は小さいホールの担当でした。
ちょっと悔しかった…。
でも、小さなホールだからこそ、カメラマンがすぐ近くに見えたり、審査員の話を近くで聞けたりしました。
そして、私を含め、それぞれの持ち場のスタッフがチームになることで、この「場」が進行していく––––。
緊張と興奮が入り混ざった独特な“空気感”をカラダ全体で感じて、ゾワゾワ~っと、鳥肌が立ちましました。
「これを仕事にしたい!」そう思った瞬間でした。

「なんとかアナの仕事に…」

大学でも、アナウンス研究会に入ります。
ラジオドラマをはじめとした番組や、学内外のイベントの司会を経験します。
アナウンススクールにも通っていました。
ところが、就職活動で臨んだ30社以上の“局アナ受験”は、すべて不合格––––。
落ち込んでいると、ゼミナールの教授に勧められていた、ある企業の採用試験の結果が届き、なんと、アナの仕事ができることになりました!…それは、アナはアナでも航空会社のANAでした。(笑)
私の理想とはちょっと違いましたが、それでも、ここで放送業務をすることができました。
きちんとした会社の教育を受け、貴重な経験もさせていただきました。
けれども、不規則な就業により心身ともに不調をきたし、3年ほどで退社することに…。
実家に戻り、結婚、転職もしますが、ストレスが重なり、またもや退職を余儀なくされます。
私の“どん底”の時代––––。
体調もよくない、仕事も続かない。
「自分の幸せってなんだろう…」と、ずっとひとりで悩んでいました。
その時、声をかけてくれたのが義理の母です。
「ゆりちゃんの好きなことをやりなさい」
思い返してみると、会社員時代は、本当に自分の好きなことをしていませんでした。
ここで、私は奮起します!
アナウンススクールで再び勉強を始めて、お仕事に繋がるように努力しました。
ほどなくして、スクールの講師でもあり現役アナウンサーでもある恩師から、声をかけていただきます。
「結婚式の司会、出来ると思うからやってみない?」
光が降り注ぐようなその言葉に、私は希望の全てを託しました!
こうして、32歳の遅咲きアナウンサーが誕生したのです。

「祝福のカタチを伝える」

その場を包み込むような空気をつくることが得意…というか、そこに集中して司会をしています。
そして、その空気をみんなで共有して味わう。
これが司会の醍醐味です。

チャペルに音楽が流れ始めます…
ドアが開いて、新婦が祭壇まで歩きます。
ドアは「新婦の誕生」を、バージンロードは「新婦の人生」を表しています。
新婦の父親は、新婦と共にその道を歩み、祭壇の前で待つ新郎に新婦を託します––––。
そのとき、私は、新郎新婦やご家族に想いを馳せます。
そして、その想いが会場の空気に溶け込むように、声にのせて話していきます。
結婚式当日…実は、新郎新婦よりも親御様のほうが緊張していらっしゃるものです。
私が親御様に寄り添うことで、式にもう一つのストーリーを付け加えることができます。
するとチャペルは、暖かい気持ち、ほっとする気持ち…柔らかな幸福感に満たされていきます。
新郎新婦だけでなく、ご家族、ご友人、会場のスタッフも含めて、みんなの安堵の表情を目にすることで、私も幸福感に包まれます。
「下じゃなく、前を見て!」

しばらくは、とても楽しく司会をしていました。
結婚式は幸せの塊です。その幸せを私もいただきながらのお仕事です。
ところが、その幸せを大勢の人が最も感じるのが結婚式なんだということがわかってくると、そのプレッシャーが緊張に繋がり、司会をするのが怖くなっていきました。
「プロとして、ミスをしてはいけない」
テクニックにとらわれ、自分の足元ばかりを見ていました。
やがて足元が崩れ、私は落ちていってしまいます…。
そこに重なったのが、高校時代にお世話になったアナウンサーの先生の訃報でした。
ショックでした…。と同時に、
「私、アナウンサーになる夢を叶えました、って、報告して、ない…」
大きな後悔が私を襲います。
伝えることをお仕事にしているのに、本当に大事な人に、大事なことを、自分の言葉で伝えることができなかった–––––。
「こんな私に、この先も伝えるお仕事をする資格があるのだろうか…」
すっかり自信を失ってしまいます。
しばらくの間、コーチングを受けながら、話し方の講師をしていました。
大好きな司会の依頼をいただくけれど、やはり直前になると、不安で仕方ない日々…。
また自分の足元に視線を向け始めていました。
その時コーチから、「下じゃない!もっと前を見て!」と言われます。
その言葉で、私は初心に返りました。
私にとっての前とは、人を祝う気持ち、幸せな空間を共有する気持ち、そしてその先を見ていこうという気持ちです。
テクニックよりも大切なことを思い出し、復活!
これまで以上に、司会の醍醐味を深く味わえるようになりました。

「天国からの応援を、幸せのシャボン玉に」

もう一つ、私の背中を押す出来事がありました。
演奏会の司会依頼をいただいた時のことです。
大きなホールでのお仕事なので下見に行きました。
すると、以前に来たことがあるなという記憶が…。
はす向かいの建物に目が留まります。それは、高校時代に司会をした小さなホール…。
「この仕事をする」と誓ったあのホールでした。
あの小さなホールで悔しさを感じた自分が、20年経った今、その何倍もの大きさのホールで司会をすることになるなんて––––!
亡くなった高校時代の先生が、天国から自信を失いかけていた私を見て、チャンスを与えてくださったのかなと思いました。

伝えたい人がいる時に、伝えたい言葉を、伝わるカタチで相手に届ける––––。
この教訓を胸に、アナウンサーをしています。
私のラジオの挨拶は「ごきげんよう!」。
これは、相手の健康や良い状態を願う大和言葉です。
私と空気を共有している人が、今より少しでも、笑えたり、気分が良くなったりすることを願っています。
それって、私がシャボン玉を吹いているイメージ。
そのシャボン玉をワクワクしながら受け取ってもらったり、様々な色に変化して、自然に消えて、次のシャボン玉が目に映るのを楽しんでもらったり…。
シャボン玉のような私の声は、幸せの循環となって、私のごきげんようになって返ってきます。
事業所概要
事業所名 フリーアナウンサー
代表者 力久 由利子
所在地  
電話番号 090-6126-1302
FAX番号  
メールアドレス yuriko64@gmail.com
ホームページ https://lit.link/yuriko64
事業内容
  • 各種司会など
  • 自己紹介コーディネート
  • 声トレ講座、レッスン  etc.