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堅田不二子

堅田 不二子
ヒプノセラピスト マスタートレーナー

「もっと自分出して!」

はじめまして。かただふじこと申します。
現在、ヒプノセラピスト養成スクール経営しています。
ヒプノセラピーとは、催眠療法のこと。催眠というリラックスした状態を利用して、潜在意識の奥底に刻まれている思い込みや、自分を縛っている制限を書き換え、自己肯定感を上げていく心理療法のことです。

ヒプノセラピーを学ぶと、まず、自分自身の自己肯定感があがります。
そして、お客様のネガティブな感情を癒し、前向きに生きるサポートが できるようになります。
また、もう一つのお仕事として、コーチやカウンセラー、ヒーラー…いわゆる、カタチの ないサービスの提供で起業する女性のコンサルティングもしています。
私自身の起業経験をもとにするコンサルティングは、「とても具体的でわかりやすい」、 「すぐに実践できる」と好評です。
「引っ込み思案が芸能界に」

私は元来、コミュニケーションが苦手なタイプです。
厳しい父親のいる家で育ったので、子供のころは、引っ込み思案で、おとなしい子。
「○○しなさい」・・・「はいっ!」っていう毎日。
母も祖母も、いつも父のご機嫌を伺っている家でした。
母は父の仕事の補佐役として毎日忙しく、あまり家にいないひとでした。
学校であったことを話したくても、話すことはできません…。
だからなのでしょうか、人に話しかける事や自分の意見を言えない子供でした。
人前で何かしなければいけないときは、頭が真っ白になってしまう…。
そんな自分がとても嫌でした。

リコーダーの発表会。
前日練習は、完璧。
でも、当日、「みんなが私を見ている。上手に吹きたい」と思ったら、指が震えだしました。そして、吹くことができず、憐れむような視線の中、席に戻ったことを思い出します。そんな私も、大学生になって親元をはなれると、そのブロックが外れます。
自分の好きなことをやってやろう!
ファッションが大好きだった私は、モデルを目指します。たまたまバイト先で、モデルクラブの人に出会い、それが縁でモデルをすることになります。
最初は、笑顔を作ることもできない私でした。ウォーキングやポージングの練習を何度もしていくと、だんだんとできるようになっていきました。
そうこうしていると、タレントを目指してみないかと声がかかります。
そしてタレント事務所に入所、発声や感情表現の勉強をしていきます。
大卒と同時に芸能界入り!とてもワクワクしていました。
しかし当時、そこはとてもブラックな業界でした。
ロケのときに嫌なことをされ、ちょっと調べてみると所属している事務所がグルだったことも。
ある映画に出たときに、監督に嫌がらせを受け、私はこの業界をあとにします。
人間というものには、私の見たくない、狡猾で身勝手な一面もあるんだということを身もって経験しました。
「子供を通して学んだこと」

その後、34歳で結婚します。
遅い結婚だったので、すぐに子供が欲しかった。
そこで不妊治療を受けたのですが、排卵誘発剤が体に合わず、入院することに。
しばらくして、無事に長男を授かります。その子は自閉症でした。
自閉症の子を専門的に教育してくれる良い学校は、東京にしかありませんでした。
当時住んでいた名古屋に主人をおいて、東京で子供と暮らすことになります。
そして10年間、一人で子育てをします。
その間に、障害を持った子供のお母さんに、たくさん会いました。
自分を責めてしまい、その罪悪感から離婚を選んでしまったお母さん、子供ためにすべてを犠牲にしてしまったお母さん…。
でも私は、子供のために何かをあきらめる事は絶対にしないと強く思っていました。

子供が小学校卒業して、一人で学校に通えるようになったときに、名古屋に戻ります。
そのころ自己啓発の本を読んでいて興味があった、コーチングの勉強を始めました。
それは、障害をもった子供のお母さんたちとの出会いの中で感じた、「自分をあきらめている人を助けたい」という思いからでした。
ところが、コーチとして独立したら、お客さんが来ない…(汗)
悩んでいると、コーチ養成の講師にならないかと誘われます。
とにかく何かやらなければ食べていけません。
私は、コーチングスクールの講師になり、コーチの養成をすることになります。
すると、この経験をもとに、コンサルタントの仕事をやってみたいな思うようになります。
自分で仕事を始める決意をかため、起業塾に通います。
しかし、そう簡単にはうまくいきませんでした。
ただそこで、ある出会いがあります。
子供が4人もいるのに、主婦起業のコンサルタントとして成功している女性です。
思い切ってその方のコンサルを受けると、難なく集客ができてしまったんです。
そして私も、自分の経験とコーチのスキルを利用して、女性のための起業コンサルタントを始めることになります。
「ヒプノセラピストは私の天職」

しばらくすると、ある気付きを得ます。
自分のやっているコーチングというのは顕在意識に働きかけるもの…これでは、潜在意識の深いところまで変化を起こすことはできない…。
そこで、今度はNLPを学びます。
NLPとは、別名「脳と心の取扱説明書」とも呼ばれる脳の仕組みを利用した心理学のひとつ。ここで「催眠(ヒプノ)」を知ることになります。
このヒプノセラピーという心理療法が、私ととても相性がよく、長年の悩みまでクリアになっていきました。心が軽くなり、それまで自分の運命を悲しんでいたことが嘘のように、「全ては、この天職に出会うためだったのだ・・・」と思いました。

ヒプノセラピーは、まだあまり日本では普及していません。
ヒプノを使って、多くの方の心理的なサポートをしたいと思い、これをしっかり学ぼうと決意しました。
そして、憧れの先生の講座を受け、ヒプノセラピストの資格を取得します。
セッションを始めると、自分だけで一人ひとりのクライアントを癒していくのには時間もエネルギーもかかることがわかります。
私の体ひとつではヒプノセラピーの普及を成し遂げられないこともわかりました。
そこで、ヒプノセラピーのトレーナー資格を取得して、ヒプノセラピストを養成しようという考えに至ります。
私にはコーチ養成の経験があり、わかりやすく人を育て教えるのは得意です。
養成講座をスタートすると、受講者は、これまで会社員だったり、主婦で子育てにエネルギーを注いでこられたりした40~50代の女性たちが集まってくれました。
そして、その人達は「自分も人も癒したい」という共通の想いを持っていました。
講座では、理論も教えますが、それ以上にセッションの練習を多く取り入れています。
なぜなら、自分がヒプノセラピーで癒やされた体験を持っていなければ、人を癒すことはできないからです。
そのセッション練習では、多くの受講生が涙を流します。
それは、大きな気付きを得たという印。
有名なセラピスト、カール・ウィテカーの、「セラピストとは因果な仕事…人を癒しながら、自分の傷を 癒す生業」という言葉が腑に落ちます。
セラピストとクライアントは相手の鏡となり、自らの潜在意識の中にある思い込みや誤解 に気づくことができるのです。自分の事を客観的に見る視点の獲得によって、沢山の学びを得られるようになります。
人として成長することができるようになるのです。
そんなヒプノセラピスト達が、どんどん誕生しています。
「人とのつながりが私をつくる」

私は人と人をつなぐのが好きです。
素敵な人がいるとつなぎたくなる。
人と人とのご縁から生まれる化学変化が楽しみなんです。
人に教えるのも好き。
素晴らしい才能を持っているのに、それを外に出さないのはホントにもったいない。
もっと自分出して!
教える事によって、彼女たちが変わっていくことを見ることが好き。
潜在意識に何度も刷り込むことで、私もできないことができるようになったから…

私が心がけていることは、まずはすべてを受容すること。
そして、一日の終わりに感謝をする。
その日にあったいいことを思い出して感謝をする。
すると、いいことがやって来る。
幼いころに刷り込まれたネガティブなものの見方というのは、なかなか消えない。
そして、真面目な人ほど、うまくいかない現実を自分のせいにしてしまうもの。
罪悪感や自己否定感で苦しんでいる人がたくさんいる…かつての私もそのひとり。
だからこそ、起きている出来事は、すべて私のために起きていることなんだと受け止め、心穏やかに日々を過ごしていきたい。
そんな私の周りには、おんなじ気持ちの人が集まり、ひとつなっていく。
一生が終わるとき「あー楽しかった」と言える人生が、私には待っているはず。
事業所概要
事業所名 リソナンス
代表者 堅田 不二子
所在地 〒465-0078 愛知県名古屋市名東区にじが丘1-12-2-708
電話番号 080-3403-5395
FAX番号  
メールアドレス yurisa618@gmail.com
ホームページ https://fujikokatada.com/
事業内容
  • ヒプノセラピスト養成講座
  • マスターヒプノティスト養成講座
  • ヒプノセラピー単発セッション
  • 才能発見コンサルティング etc.