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会員紹介

石田美都

石田 美都
ツアーコンダクター・ネイチャーガイド

「人生を楽しむために生まれてきたんだから」

はじめまして、石田美都です。現在、ツアーコンダクターとして全国のパワースポットをつなぐツアーをはじめ、お客様のご要望にお応えした様々なツアーを開催しています。また、諏訪では信州登山案内人として山岳ガイドもしています。
私の仕事は、すべて人とのご縁がきっかけで始まっています。
頼んでくださった方のために一肌脱ごう!…そんな動機で、山岳ガイドやツアーの開催をするようになりました。まるで、「導かれてるようだな」と感じます。

ツアーの構成は、ストーリー性を持って感動の演出をすることにこだわっています。
そうして、徹底的に特別感を演出し相手の期待以上を提供するのです。
お客様は、日常になかった体験をされ、仲間ができる幸せ、刺激を受ける幸せを感じてくださっています。そうすると、皆さんの笑顔が見られるんですよね。
それが、本当に楽しい!
かつて夫から言われた「美都が美都らしく」という言葉で、私は自由に過ごせるようになりました。今や、思いつきで国内海外にこだわらず行くのは当たり前。
最近は、もう夫からその言葉を言われることはなくなりました(笑)
夫も、私が結婚当初よりこんなにのびのびと自由になるとは思わなかったのでしょうね。
なので私は、「その人がその人らしく」ということを大切にしています。
「天国に一番近い女」

自分は強いなと、自分で思います。
正義感も強いし、ストレスにも強い。
昔はそうではありませんでしたが、色んな経験が私を強くしてくれました。

「天国に一番近い女」と言われたこともあります(笑)
それは、命を感じたくて危険な山に入っていったことがあるから。
山では簡単に死ねる経験を重ねたことも、私が強くなった1つだと思います。
元々は、山は大嫌いでした。
けれど、40歳の時盲腸をして、入院。その時、病気の方を多く見て「健康でいなきゃ」と、月2回登山をするようになりました。
その後、HISにスカウトされて登山資格を慌てて取ることになります。県の観光課のHPにも載っているんですよ。
更に、マウンテンツアーのガイド資格を友人が取ると聞き面白そうだから取ると、
「添乗員をやりながら山のガイドを出来る人はなかなかいない」
と、富士急トラベルに行くことになりました。
実際やってみると、私は専門が3000メートル級なので、3時間くらいの登山じゃ物足りないんです。
お客様も物足りなかったようで、皆さんが行きたい山に連れて行く夢を叶えるために、後日山ヨガが出来るツアーを作りました。
バスで山の魅力を語るとお客様も行きたくなるようで、キャンセル待ち多数の人気ツアーとなりました。
「血に囚われ、血で救われた」

今でこそ自由で、お客様にも
「こんなに楽しそうに仕事をしている人は、私の周りにいない」
と言われます。
自分自身、今の自分が一番好き!です。
ですが、子供の頃は自分のことが大嫌いでした。

レッテルだらけでずっと「いい子でいなきゃ」と思ってた。
というのも、母はかつて芸者をしていたそうです。
父と母は離婚し父に育てられていたので、母がいなくなってから知りました。
幼い時に芸者の子と知ってから、私は私の血を汚いと感じていた。
グレることも考えましたが、「やっぱりね、血は争えない。」そう言われるのが嫌で、いい子でいたんです。グレることすら出来なかった。
そんな母が37歳で亡くなったと聞いたのは 好奇心いっぱいの近所のおばさんからでした。 当時それを聞いたのは16歳の時でした。
20歳になったら逢わせてくれるという言葉だけを胸に生きていた私は、家族に悟られない様に顔を枕に押し付けて無言で泣きました。
翌日、泣き過ぎて両目が腫れて目が開けれない状態を見た両親が、鎌倉在住の叔母に相談したところ、叔母は鎌倉の神社仏閣に連れて行って私の心を落ち着かせてくれました。
泣きながら、御朱印集めを叔母としたのです。
昭和57年の話なので、当時の女子高生が御朱印を集めるというのは大変珍しい事ですよね。
今思うと、このことも現在開催しているツアーの1つ、“鎌倉三十三観音様巡礼”に繋がっているのかな、なんて。ご縁を感じますね。
父は破天荒なタイプでしたが、「女に学歴は不要」という考えの持ち主。
芸者の子だからと言われるのが嫌で、女子校の進学校に特待生として入学し大学進学を目指しましたが、父親の大反対で断念。
それでも大学に憧れていたので、まずは銀行員をやりながらお金を貯め、その貯金と奨学金を使い自力で短大へ。そうして、歯科衛生士になりました。
その後、ヨガをしたり、下着の販売を通して組織作りに携わり家を建てるまでになったり、FP(ファイナンシャルプランナー)をすることにもなります。
ずっと何をするにしても「血は争えない」と言われることへの恐れがありました。
けれど、最近、“諏訪の芸者は日本で一番”と聞いたんです。
母はまさに諏訪でNO.1の芸者だったそう。
偶然、龍神を祀っている神社で母親を知っている芸者さんに出会い、直接母の評判を聞けたのです。
諏訪は日本のへそ、ハブ空港のようなところ。「そこのNO.1芸者さんなんて格が違う、すごいんだよ」と聞いて、心がほどけました。
実は祖父も当時にしては珍しいくらい商才に長けた人物でした。
父も、旅好きで名刺には自営業ならぬ“自由業”と記載していたような人。家族旅行もよく行きました。
私自身、人と人を繋いだり、コミュニティを作ってみんなで繁栄していくことが得意。
実際私のツアーでは、絶対会えない職の人に繋がり、お客様同士でコラボが生まれることも!
私がそんなことが出来るのも、まさに受け継いできた“血のおかげ”。
そう、長年血に囚われ続けていましたが、この血に救われてもいたのです。
「“健康、大事”がベースにある」

以前は、65歳以上の方を対象にしていましたが、今は若い子達に山に登ってほしいと感じています。
『美しき緑の星』というフランス映画、ご存知でしょうか?
その中で、物事を決定するときには山に登って会議をするんです。
山に登ることで、余計なものが削ぎ落とされていく。
これを、大切にして欲しいと感じます。
“こんなに美しい景色があったのかという感動”
“研ぎ澄まされる感覚”
こんな魅力が、山にはあります。そして、“健康になる”。
私は3人子供がいますが、全員自然の中に連れて行きました。健康でいい子に育ったなと思っています。私も、風邪や病気一切なしです。

母親の死、身近の人の死をたくさんみてきた…
そんな経験から、“健康、大事”が常に私のベースにあります。
「“その人がその人らしく生きるため”が起動力」

人に良いようにしたことが、全部自分に返ってきている。そう、感じます。
良い仲間に恵まれています。
“健康”に“その人がその人らしく生きるため”、これが私の起動力。
そうして、その人の命の本筋を生きて欲しい。それが、私の願い。

これからは、子供の幸せのために大人が健康でいられるようにしたい。
今の時代、国民健康保険の85%を使っているのは65歳以上の大人たちです。
未来のためにも、子供の負担にならないよう大人の健康に注力したい。
そうして、子供も大人も幸せに。
これからも私は、ツアーやコミュニティづくり、他にも色々な形で命に向き合って生きていきたい、そう思っています。
事業所概要
事業所名 MITO TOURS 
代表者 石田 美都
所在地 〒248-0033 神奈川県鎌倉市腰越1-17-3
電話番号 090-7235-5809
FAX番号  
メールアドレス lovemountain617@yahoo.co.jp
ホームページ https://peraichi.com/landing_pages/view/mito-toures/
事業内容
  • 鎌倉三十三観音様巡礼 4回コース
  • 鎌倉アルプス山ヨガツアー
  • 山ヨガステップアップツアー
  • 信州ツアーSHIKI  etc.